私の子供の頃の体験談だ。
もう数十年も前になる。
あれは、ある種の“呪い”だと言ってもいい。
そして、今でも続いている。
私は子供の頃、田舎に住んでいた。なので、周囲に雑木林や山などに取り囲まれている形だった。
私の家の近くには、山へと続く小道があり、そこは滝へと続いていた。
子供の頃、よく男子に混じって滝の辺りで遊んだものだ。
その頃、『水鏡』という遊びが流行っていた。
流れてくる滝の水がとても澄んでいて、水面に自分の顔を映し出す事が出来るのだ。そして、みな、大抵、昆虫採集や山でのかくれんぼや鬼ごっこの帰りに、この『水鏡』という遊びを行う。
何故、この水鏡なるものをやっていたのかというと、地元の大人達が滝とその近くの河には言い伝えがあって、夕方の六時から深夜の2時くらいまでの間に覗き見ると、未来の自分やこの世界では無い別の世界が映し出されるのだと言う。そして、水鏡をやる際に、真っ白な紙に質問や願い事などを書いて河の中に落とすと、より鮮明に映像が映し出されるとの事だった。
水鏡の話は、直接、誰から聞いた話なのかは分からない。私の友人のB男は母親の伯父さんから聞いたと言っていたが、その伯父さんも何処で聞いたのか記憶が定かではない、との事だった。つまる処、この辺りの土地に根付いている伝説のようなものだろう、という事なのだろう。実際、この滝の水鏡に関して気を付けろと声高に叫ぶ大人もいなかった。
川の水面に向かって顔を映し出して、川に映った自分の顔に問い掛けるのだ。
たとえば、誰誰が好きな異性は誰なのか、だとか。将来の自分はどんな職業に就いているのか、とか。他にも、オモチャが欲しい、ペットが欲しい、テストで満点を取りたいなど、軽い願い事くらいだったら叶えて貰えるとの事だった。
とにかく、この遊びは流行った。
そして、実際に願い事をしてから、一ヶ月以内にはみなの願いが叶っていった。
たまに、本当に水鏡に映った自分が訊ねた質問に対して、映った自分の顔が、答えを返してくれるからだった。そしてみなで盛り上がるのだ。
水面に映った自分が今度のテストで出される問題を教えてくれたよ、など。
子供の感性だ、子供は空想の世界に浸っている事が多い。なので、本当に聞こえたかのように感受性を発揮して、水鏡から答えが返ってきたと頭の中でイメージしてしまうのだろう。……大人達は、そう思っていたに違いない。
ただ、ある事件が起きてから、水鏡の遊びも、あの滝の付近に近付く事も子供達はみな禁止された。それ処か、大人も一人で近寄る事も禁止されたのだった。
ある事件というのは、当時、9歳だった私達の仲間の一人だったC子が、滝の下の河の中から水死体で見つかったからだった。
C子は頻繁にあの滝付近の河で『水鏡』を行っていたらしい。夜に一人で河に向かって、水鏡をしていたと聞いた事がある。ただ、夜に足を滑らせて、河の中で溺れ死んでしまったのかもしれない。ただ、一つだけ気になる事は、C子の口の中から、サワガニや淡水魚に混ざって、大量の紙が出てきた事だった。水鏡の儀式を行う際に、川に投げる、例の質問や願い事が書かれた紙だ。
それから、私達は大人から、あの滝の周辺で遊ぶ事を止められた。男子達は不満な顔をしていたが、やがて別の山でカブトムシが多く捕れるとの話を聞いて、滝の事なんてどうでもよくなった、といった感じだった。『水鏡』の話も、みなの中で次第に忘れられていってしまった。
それから、何年かして、私が中学に上がった頃にまた事件が起こった。
あの例の滝付近の河で同じ中学校の男子生徒数名が水死体で発見されたのだった。その事件は事故として、地元の新聞に小さく載った。
男子生徒達は夜、あの滝の辺りを溜まり場にしていたとの事だった。所謂、不良だったらしく、煙草や缶ビールをあの場所で口にしていたそうだった。あの滝はC子の事件があってから、ロープで閉鎖されていたのだが、お構いなしに溜まり場として入っていたのだろう。
水鏡の話は、その頃にもみなに静かに伝わっていて、噂には背びれ尾ひれが付いていた。あの滝には夜な夜な、水死体となって彷徨うC子の霊が出るだとか、滝には昔、修行僧がいて全身に重しを付けて水の中で浮き沈みをするという荒行の際に溺れ死んでしまったとか、昔、戦争で空襲の時にあの滝の周りが火の海になって沢山の人が水を求めてあの滝と河の中で炎に焼かれて死んだ、だとか。…………、もっとも、C子以外に関しては、この街にそのような歴史的文献は存在しなかった。
ただ、こんな事を耳にした事がある。
元々、大きな河というのは、現世と冥界、現世と異界に繋がりやすい場所なのだと。
なので、たまたま、冥界や異界といった場所と繋がってしまったのではないかという話を耳にした事がある。
ちなみに死んだ男子生徒達だが、やはり口の中に妙な紙切れのようなものが詰め込まれていたらしい。身体中は魚に喰い荒らされて、巣のようになっていたとの事だった。
水鏡の儀式とは一体、何だったのだろう? と、私は今でも考える。
そして、私は子供の頃、あの滝の近くの河で水鏡を行った。
そして、河へと願いを口にしたのだった。願いの為の紙も流して。
時折、夢を見る。
暗い河の底から、無数の腕達が私を掴み、滝の近くの河へ沈めようとしているのを。その腕の一つはC子の手だという事が分かる。ハシカの予防注射か何かで、C子の腕には独特の痣があったからだ。
あれから、数十年前の話だが、私は未だ、あの澄んだ滝の事を思い出す。職場でも、家の中でもあの滝の音の幻聴に悩まされる。
きっと、私の寿命が近付いたら、いよいよ私を向かいに来るのだろう。
あの『水鏡』の儀式を行った友人達は、次々と海で溺れ死んだり、近くのドブ川に落ちたり、風呂場で亡くなったりなど、次々と水の事故で死んでいった。
おそらく、滝の近くの河に住む何者かは、願いや未来などを叶えてくれるのだろう。
私は鏡を見る。
少しやつれた四十近い女の顔がそこには映し出されていた。
水鏡の儀式を行った時、未来の自分は何をやっているのか知りたかった。看護士姿の自分が映し出されていた。私は今では小児科で看護士をやっている、結婚はしていない。鏡は未来の自分を知りたいという願いを叶えてくれた。
あの滝の本当の伝説は誰も知らない。
もしかすると、自分達が作り出した空想が本当に、邪悪な何かを作り出してしまったのかもしれない。
今ではあの滝は知る人ぞ知る、観光スポットになっている。
水鏡の儀式の伝説も、噂として静かに広がっているらしい。
そして、私は今でも怯えている。
あの滝と河が、水鏡の儀式を行った私に、いつ代償を求めにやってくるのかを……。
今日も、ごぽり、ごぽり、と、水の音が聞こえる。
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