【怖い話】廃病院から響くもの

短編の怖い話



私の住んでいる町の住宅街の中に、古い廃病院があります。ビルのような大きなものではなく、個人でやっているような小規模な建物です。
割れた看板はかろうじて『D産婦人科・小児科医院』と読むことができます。
30年くらい前に突然畳んでしまい、主治医一家もいつの間にか町から出ていってしまったという、曰く付きの廃病院…
3階建ての小さなマンションくらいの廃病院は、古い住宅が立ち並ぶ住宅街の中では目立つ存在ですが、その病院があまりにも鬱蒼として暗い空気をまとっているものですから、住宅街全体が暗く見えてしまいます。
こんな古い廃病院なんて、さっさと取り壊してしまえばいいのに…。私くらいの若い世代はみんなそんな風に思っていましたが、少し上の世代はかえって手を付けない方が良いと口を揃えて言います。

「あそこはね、変に突かない方がいいんだよ。何かあってからじゃ遅いんだからさ」

大人たちはみんなそう言います。
ということは、あの廃病院は何かがあるということでしょう。しかし、あの廃病院が昔どんな場所だったのか、何故潰れてしまったのか、何か怪談めいた話があるのかを聞いてみても、ちゃんとした答えをくれる人はいません。
話したくないのか、それとも本当に知らないのか…答えはどちらもでしょう。
このような場所は私たちのような多感な10代には、町のちょっとした心霊スポットとして認識されていました。
私にとっては近寄りたくない不気味な場所でしたが、そういったものが好きな子にはたまらなく魅力的な場所です。
私の友人のAちゃんはホラー好きで、このような廃墟や曰く付きの恐怖スポットが大好きな子でした。

ある日の午後、Aちゃんは私にこんな話を持ちかけてきました。

「ねえ、あの廃病院に入ってみない?」

彼女の言う廃病院は、あの「D産婦人科」以外に考えられません。

「何があるか分からないし、危ないよ」
「大袈裟だなぁ。大丈夫だよ!普通の家の廃墟とは違うんだからそこまでボロボロにはなっていないよ」

彼女の言い分も分かるのですが、私はどうも気乗りがしませんでした。でも彼女はどうしても行きたいらしく、私が一緒に行かないなら一人で行く!と言い出しました。
Aちゃんのわがままには困ったものです。一人で行かせて何かあっても嫌なので、私もついて行くことにしました。

放課後になると、私とAちゃんは学校を出て廃病院へと向かいました。
廃病院の周りは住宅街ですが、平日の夕方前ということもあり、誰も買い物や散歩のために出て来ません。人通りのない住宅街の中にそびえる、不気味な廃墟…こうして目の前にしてみると、話で聞くよりもずっと異質で気味の悪い空気を漂わせていました。
特に立ち入り禁止を伝えるような看板やチェーンは無く、侵入しようと思えば誰でも入って行けるような状態でした。
制服姿のまま廃病院の前に立った私とAちゃんは、暫し廃病院の持つ独特の雰囲気に気圧されて、呆けたように立ち尽くしてました。

「本当に入るの?」
「うん。木造の建物じゃないから、崩れて来る心配も無いし、大丈夫だよ」

そう言ってAちゃんは病院の入り口へと向かっていきました。私も後を追って行くと、入り口はベニヤ板で封印されていて、入ることが出来ません。
しかし、窓の一部は綺麗に割れており、中の状態が丸見えになっています。覗き込むと、そこは待合室でした。
どうする?と聞く前に、Aちゃんはスカートが乱れることも気にせず、中へと入って行きます。
私も続いて窓から病院の中へと侵入しました。
廃墟と化した病院の中は埃っぽく、土と草とカビのような臭いに充満していました。床にはガラスや土が散乱しており、待合室の隅には小さなキッズスペースがあります。
誇りと土にまみれた『ぐりとぐら』の絵本…最後に開かれたのはいつのことなんでしょうか。

この待合室に侵入し、周囲を見渡した時、私は強烈な違和感を覚えました。
この廃墟は、まるで時間が止まったかのように、経営されていた当時のままになっていたのです。

受付のファイル、並びがバラバラになった絵本、整理されたスリッパ、壁に貼られた妊婦向けの雑誌の切り抜き、本棚に並んだ女性週刊誌…

すべてがこの病院が畳まれたと言われている時代のままでした。
一般的に店や工場などが潰れる時は、中の設備は撤去されます。それこそ、引っ越しをするように綺麗に整理されることもあるでしょう。
まるである日突然、従業員が逃げ出したかのような…そんな有り得ないような状態が、廃墟の異常さを際立たせていました。

これだけでも、ここは何か良くない場所だ…と察することが出来ますが、意気揚々と侵入したAちゃんはそんな違和感はお構いなしです。私の気持ちなど露知らず、受付のファイルやら机の引き出しやらを勝手に開いては、へぇ!とか、ほう!とか独り言を呟いていました。

「ここ、すごいね。こんなに残っているのは珍しいよ。ここは1階の待合室だね。案内板だと、1階は小児科で2階は産婦人科みたい。手分けして探検しようよ」
「私は別に探検したくないんだけど…」
「じゃあ、ここで待っててよ。どうせ2階にも来たくないんでしょ?面白そうなのあったら呼ぶから」

そう言ってAちゃんは2階へと駆けあがって行きました。
残された私は、仕方なくその場をウロウロしていました。帰るわけにもいかないし、埃とガラス塗れの椅子に座るのも気が引けます。
あぁ、帰りたいな…。そう思い始めたその時…

きゃあぁ……きゃあぁ……

どこからともなく、声が聞こえて来ました。猫の鳴き声のような、小さなものです。
猫は人目を避けて出産すると聞いたことがあります。もしかしたら、この廃墟の中のどこかで野良猫が出産したのかもしれない…
耳を良く済ませると、その声は待合室の奥にある小児科の診察室のすぐ隣…『計測室』というプレートが掲げられた場所から聞こえて来ました。
計測室の前に立つと、声は少し大きく聞こえて来たように思えます。

んきゃあぁ…んきゃあぁ……

猫のようなか細い声ではありません。昔テレビで見たことがあります。
これは、生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声です。
気付いた瞬間。背中にぞわりと冷たいものが走りました。産婦人科と小児科の廃病院で…赤ちゃんの泣き声…
嫌な予感しかしません…しかし、この扉の向こう側がどうしても気になってしまう自分がいました。
私は少しだけ扉を開き、中を窺いました。
室内の机の上には、赤ちゃんの体重を計る専用の体重計が置かれており、その上には…

真っ赤に爛れたような肌をした、生まれたばかりの赤ちゃんが見えました。

「んきゃああぁぁ…んきゃあぁぁ…!」と声を上げる爛れた口元。
私は息を呑んで反射的に扉を閉めました。瞬間、泣き声は消えて、辺りはしんと静まり返りました。
もう一度扉を開ける勇気はありません。私は急いで2階へと駆けあがり、Aちゃんを探しました。
2階は産婦人科があった場所で、小さな待合室といくつかの診察室、手術室と病室があります。

「Aちゃん!どこにいるの?」

声を張り上げて埃塗れの院内を探し回ると…Aちゃんは手術室の前で座り込んでいました。
大丈夫?と声をかけると、彼女は顔を真っ青にして私を見上げ…

「さっき、手術室の床に…真っ赤な赤ちゃんが転がってた…」

震える声で、手術室の床を指差したのです…

私たちはそれ以来、あの廃病院には近付いていません。
私とAちゃんの間で、この話はタブーとなりました。私たちが見てしまったあの真っ赤に肌を爛れさせた赤ちゃんが何だったのか、それは今もよく分かりません。

これはAちゃんには話していないのですが、あれ以来ときどきですが何も無いところで赤ちゃんの泣き声を聞くことがあります。
そしてその方向に目を向けると…

爛れた肌の不気味な赤ん坊が、真っ黒な瞳で私を見つめているのです。

きっとAちゃんにも、この赤ちゃんは憑いているでしょう。
もしかしたら私たちが知らないだけで、あの廃病院には、他にも不気味な何かが彷徨っているのかもしれません。

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